あたらしい朝
                
                  草野 梓 (39) 岡山市北区

 午前2時45分、軽い腹痛で目が覚めた。いよいよだ。これまで「明日はお兄ちゃんの運動会だからもう少し待ってね」とか「今日はお姉ちゃんの遠足だから」と予定日が近づくにつれ、お腹に言いきかせてきた。

 予定日から一夜、もういいよ、出ておいで・・・。

 都合のいいものである。

 家族を起こさぬよう、そおっと布団から抜け出し、助産師さんに電話する。陣痛がくるたびに休んで合間に家事をこなしていく。

 そうこうしているうちに助産師さんが家に到着。手際よく道具が並べられ、いつものリビングは分娩室に様変わりした。

 朝食がととのい、娘の幼稚園のお弁当が出来上がった。ええっと、あとは・・・そう、赤ちゃんを待つのみである。すると、タイミングをはかるように、激しい陣痛がやってきた。3人目とは言え、陣痛に免疫などない。

 意識が遠のくような中、いろんな人の笑顔が目に浮かんできた。

 朝のお散歩で知り合ったご近所の方、ラジオ体操のみなさん・・・。いま何ヶ月なの?出産がんばって!よーし、あともうひとがんばりで赤ちゃんに会える・・・。

 夫が背中をさすり、ねぼけまなこだった2人の兄妹が呆然と見守る中、おひさまと一緒にやわらかな産声が上がった。

 喜びと安堵につつまれる中、7歳の息子が赤ちゃんと抱っこし、肩をふるわせてつぶやいた。

 「いっくん、うれしいよ・・・ママ、元気な赤ちゃん、よかったね」。いつものおうちで朝を迎える。赤ちゃんを胸に抱いて。

 「草野さん、おうちで産む意味があったわね」。助産師さんがささやいた。

 私はちいさくうなずいた。

産経新聞 平成29年12月16日 【夜明けのエッセー】より
見苦しいもの ~つきBON
■22日の読売から。

 熊本市議会で22日、緒方夕佳市議(42)が議会開会前に無断で0歳児の長男と議場に入り、開会が約40分間遅れる事態となった。

 議会は長男を傍聴人とみなし、関係者以外の議場への立ち入りを禁じる傍聴規則に違反するとして緒方市議に注意した。

 緒方市議は午前10時の開会直前、長男を抱いて議場の席に座った。議長が注意し、開会時間を遅らせた。緒方市議は議長室で議長らと協議した後、長男を友人に預けて1人で議場に現れ、同40分頃に開会した。この日は11月定例会初日だった。

 市議会事務局によると、長男を連れて議会に出席するとの事前連絡はなかったという。傍聴規則では「傍聴人は、会議中いかなる事由があっても議場に入ることはできない」と定めている。
 
 緒方市議は「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」と説明したらしい。彼女の主張も間違っているとは言わないが、順番がちがう。そう思うなら傍聴規則をまず変えるよう議員提案すべきなのである。

  時々こういう人がいる。自分の持論に絶対の自信を持っていて、まずルールを破っておいて一点突破を図り問題提起していこうとする「実力派」である。しかし学生運動ならともかく、いい大人が、しかも議員ともあろう者がするにはあまりに子供じみている。わが子を政治的主張の道具にしている、と言われても仕方あるまい。

 考えてみるがいい、他の議員が「それはもっともだ」と彼女に同調し、自分の子や孫の手を引いて議場に集まってくればどのようなことになるのか。泣き出す、走り回る、授乳する、おむつを替える… そこはもう知嚢をしぼって審議したり論議する場ではなくなってしまうだろう。自分がすることを他人もしたらどうなるか、という予想がこの市議にはつかなかったらしい。
 
 政治家もだんだん「幼児化」が進んでいるのだろうか。


2017/11/24(金) 08:23:22
母さん 〜 産経新聞 朝の詩より
 母さん

          大阪市平野区
          堤 勝好 (67)
     

     俺が18歳の時母が

     旅立ち もう 

     54年 俺母さんの
     
     顔今でも覚えているが

     母さんは覚えて

     いるかな?

     今の俺は頭の

     毛も薄く成り かなり

     年を取りました

     昔の面影は有りません

     そちらへ行っても

     わからないと思います

     俺が母さんさがします


     
     
日本人としての芽〜つきBONのブログより
  先月、陛下がご来県したときのパレードで日の丸の小旗をもらった。そのまま家に持って帰ったのだが、三才になった孫が目を付け、これを振って遊ぶようになった。「こっきのほん」というのがあったので、以来絵本のようにこれを開き、この旗はここにある何という国のだよ、と説明してやっている。

 孫は「カーズ」や「きかんしゃトーマス」が好きなので、アメリカやイギリスの旗を描いてやったら、それに棒を付けてもらっていた。そのうち日本はじめ、自分で描けそうな旗を描いてはコレクションを増やしている。「デンマーク」とか「フィンランド」なども覚えてしまった。竜も好きなので、私は先日苦労してブータンの国旗を描いてやった。

 社会科の教員としてはうれしいものである。こうして自分が住むところには国というのがあり、それがいろんな世界に広がっているという認識を持つようになるのであろう。娘に聞くと、最近は車で走っている最中にも街角や沿道にある日の丸をめざとく見つけて「あそこにあったよ」と教えるという。この間はご来県の陛下の映像が映っていたので「この人が日本でいちばんえらい人だ」と教えたら、以来この子にとっては「いちばんいい人」として定着している。

 下の子は悠仁親王殿下と同じ誕生日(10才違い)だったので「悠馬」と名付けている。かなり遠い将来だが、自分のバースディが天皇誕生日に重なってくることになる。
 
 国への帰属心というのはやはり系統的に家庭や学校で教えるべきものであろう。やさしさとか思いやり、勇気や正しさなどというのは普通の暮らしの中で自然に身につく部分もある。しかし、自分の住む地域や国についてはなかなかそうはいかない。国体や五輪の応援では不十分であり、外国のことを知ったり郷土や母国の歴史・文化を学ばねば育たないのである。

 時に教員の中にも「愛国心など教えなくてもよい。愛されるような国になれば自然に身につくのだ」というご仁がいらっしゃる。こういう方に限って道徳教育にも懐疑的なのであるが、世界に出て真に通用するのは「日本人としての誇りや気概、アイデンティティを持っているかどうか」である。根無し草的な地球市民とやらを演じても「世界」は冷ややかに肩をすくめるだけであろう。

 一流のアスリートほど胸やソデに国旗をつけてプレーできる誇らしさを語ってやまない。その種目や分野で祖国の名誉を背負い、栄光をめざしてひたむきにがんばる姿に世界は拍手と声援を送る。戦った後に生まれる友情も絆もそれあらばこそ、である。

 戦争ですら同じであろう。真珠湾攻撃で被弾し、格納庫の敵戦闘機を巻き添えにして散華した飯田房太大尉は米軍によって手厚く葬られ、のちに記念碑を建てられた。単機米国本土に空襲をかけた藤田信雄中尉は、戦後現地で名誉市民の称号を受けている。東南アジアの日本兵が残した日本刀はベトナム戦を戦った現地兵士にとって心の支えとなっていた。今なお世界中でカミカゼ・ソルジャー、イオウジマ・ソルジャーがどれほど厚い尊崇を受けているかを戦後教育は決して語ろうとしない。

 人は好きなものからしか学ぶことはできないという。日本が好きであればこそわかること、身につくこともあるのである。うちの孫どもも郷土愛と愛国心を備えた大人に育ってほしい。

平成29年10月9日(体育の日)大津寄章三先生のブログから
母と盆踊り 〜 産経新聞 夜明けのエッセー
                      三平 貴美子(61)
                      大阪府池田市

 「今日な、ものすごく良いことがあってん」
 「何?どうしたん?」
 7月のある夜の娘との会話。私はその日あったことを幸せな気持ちで話し出した。

 私は3月に定年退職を迎え、それを機に地元町内会の婦人会の役員となった。そしてその日、初めての役員会に参加した。そこで8月に行われる盆踊り大会についての話し合いの中でのこと。

 「あんたのお母さん、踊り好きやったもんなあ。上手やったし」。23年前に亡くなった母のことをよく覚えていて、声をかけてくれた人がいたこと。

 「役員さんは、踊り手となって盛り上げてください」。母が大好きだった盆踊り大会に、私も出られるということ。

 「浴衣ありますか?町内会のおそろいのもの」。ないと答えたものの、もしかして、と思い、形見の衣装ケースを探してみた。

 「ありますようにって拝みながら開けたら、入っててん」

 話しながら、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのがわかった。ふと娘を見ると、娘の目にも熱いものが光っている。

 「よかったなあ、ママ。おばあちゃんのこと覚えてくれてる人がいて。うれしいわ」

 それを聞き、話し出す前よりもっと、私は幸せになった。

 そして8月5日、6日。私は母の形見の浴衣を着て、母の大好きな盆踊りを踊ることができた。

                   産経新聞 8月22日