運動会と祖母
     産経新聞 きのうきょう欄より

 大人になってよかったと思うことは、運動会に出なくていいことだ。小柄で体が弱く、ぼんやり気質の私は、体育が大の苦手。運動会の前日は、家族そろっての夕食でも、不安と緊張で食べ物がのどを通らない。布団に入り目を閉じても恐怖に震えるばかり。

 そんな孫娘の様子を察したのか、隣で横になっていた祖母が「こっちへおいで」という。布団をめくり笑いながら細い腕を広げている。涙がこぼれないようにギュッとくちびるをかんで、素早くその懐に滑り込んだ。

 私の頭をなでながら祖母は言う。

 「明日の駆けっこ、びりっかすでもいいんよ。恥ずかしいことなんかない。転ばずに最後まで走ってけがさえしなけりゃ、上等の一等賞」

 あれほど嫌だった運動会の当日の記憶はまるで残っていないが、前夜の祖母の優しい励ましは、半世紀たった今でも、強く鮮明によみがえる。

             北九州市小倉南区 鳴見はるみ 56 主婦
手紙 〜 夜明けのエッセー
     手紙
               山下幸子(84) 大阪府岸和田市 
 
 
 知之、50歳のお誕生日おめでとう。

 お母さんの不注意から、四肢身体障害者になり、神様参り、病院参りの毎日に何度も一緒に死のうと思ったけれど、お母さんに一度も愚痴を言わず、不自由な体で勉強して、「電気」「保全」「保守」という大切な職務につき、社長さんや社員の方々に親切にしていただき、お母さんは喜んでいます。
 
 同じ高校で片半身に障害のある優しい女性と結婚して、今年22歳になるたくましい息子に恵まれて、毎年車で旅行に4人で全国を廻り楽しい日々を過ごさせてくれましたね。本当に生きていて良かったと思います。

 ボケ防止にと「パソコン」「タブレット」「スマホ」と3人で手を取って教えてくれました。おかげで友達に「この年でインターネット?」と言われます。

 でもこの頃、少し疲れてきたようですね。頭と体が一致しないですか。

 知之も、もう50歳です。その体で一家の大黒柱として走り続けてきた人生、残りの人生は、ゆっくり歩いて過ごしたらどうですか。たまには、負けん気も、頑張りも忘れる日があってもいいと思いますよ。お母さんの子供に生まれてくれてありがとう。

 自慢の息子知之へ
                       30.7.25 産経新聞
桜 ー 夜明のエッセー
           島上 亘司(ひろし)(70) 大阪府高槻市

 私の人生の中において、美しい桜を疎ましくおもいさけてきた時代があった。

 終戦直後の日本は、物の乏しい時代だった。私の兄、忠は昭和22年6月、空腹を満たすため崖の山桜の桜ん坊を採ろうとして枝が折れ落下、岩盤に胸を強打、自宅療養中の8月26日、吐血し急逝。小4の短い生涯を閉じた。

 病床に駆けつけた父は兄をみて卒倒し、翌日帰らぬ人となった。

 一家は、突然の不幸に見舞われ、10人の子供が残された。そんな失意の日々の3ヶ月後に私は出生した。母の心中には、筆舌に尽くし難いものがあったであろう。

 私は昭和41年春、大阪に職を得て、四国の山辺の村から旅立った。バスが離れるとき、母がひろしといってポロポロと涙をこぼした。初めてみる母の涙だった。バス停の色褪せた桜と、母の人生が重なり泣けた。この日が母をみた最後の日となった。

 その2年後の春、4月7日、桜吹雪の中で母を見送った。母には何の恩返しもせず、病気見舞いにも帰らなかった。自分の薄情さをわびた。そのとき、舞い散る花びらが、それをそしり、嘲笑って(あざわらって)いるようにみえた。

 桜は父、兄を奪い家族をどん底に落とし、今度は母まで連れていくのか。私は無性に怒りが込み上げ、猛然と桜木を蹴った。後は、ただただ噎び泣き、桜を忌み嫌った。

 母との惜別の日から半世紀をへた。あれほど、嫌った桜だったが、今は両親、兄を偲び桜の咲く日を待ちわびるようになった。桜への憎しみ哀しさは、巡りゆく季節(とき)が癒やしてくれたのであろう。いつしか憎しみは、恩讐の彼方に去っていった。

                  (平成30年4月11日 産経新聞)
           
笑顔の魔法〜つきBONの「誤解をおそれず言わせてもらえば」
ほっこりした話


 珍しく地元紙にいい話が載っていたので紹介する。

  「笑顔の魔法」 熊本県 長友 奈奈(36)


幼い頃、自分は世界一幸運な子どもだと信じていた。
 
それには理由があった。
 ミッキーマウスの目覚まし時計。
 母がくれたものだ。
「奈奈、この目覚まし時計にはね、魔法がかけてあるの。この目覚ましを自分で止めて起きた日には、必ずいいことが起こるのよ」
 魔法の物語が大好きだった私は、とび上がって喜んだ。
 
次の日から、私の人生はひっくり帰った。
通学路でいつも吠える犬が吠えない。
 席替えでは仲のいい友達の隣になるし、運動会や遠足の日は必ず晴れた。
この目覚まし時計があれば、私はずっと幸運でいられる。

ある朝、ベルが鳴る前に目を覚ました。
 見てみると、目覚まし時計が止まっている。
「壊れたんだ」
私は真っ青になった。
 
その日から今まで溜まっていた不運が私のドアをノックした。
 高校受験では受験票をなくす。
入学式の当日に転んで前歯を折る。
バレンタインでは、チョコを入れる靴箱を間違えるという失態までした。
 母のかけてくれた魔法は解け、私は世界一幸運な子どもから普通に運の悪い人になってしまった。

そんな私も、不運続きだったわけではない。
 結婚したい、と思える人に出会えたからだ。
 プロポーズされた時、自分の運のなさとその理由を伝えた。

 新居が決まって引っ越した夜、私の人生は再びひっくり返ることになる。
 新生活のお祝いに、と彼がプレゼントをくれた。
 ミッキーマウスの目覚まし時計。
 母からもらったものとデザインは少し違うけれど、それは確かにミッキーマウスの目覚まし時計だった。
 「この目覚まし時計には、魔法がかけてあるんだ。どんな魔法かは、奈奈がよく知ってるよね。約束するよ。もし何もいいことがなかった日には、俺が魔法の代わりに奈奈を笑顔にする」
プロポーズされた時よりも、指輪をもらった時よりも私は泣いた。そしてふたりで笑った。
 夫がかけてくれた笑顔の魔法は、今も解けていない。

       2017年度「愛顔(えがお)感動物語」(県主催)一般の部知事賞
理想の男性像
                 産経新聞 夜明のエッセー
                 平成30年3月10日

 私の家は外で働く父と、専業主婦の母、大学生の姉と私の4人家族だ。両親は結婚して21年になる。


 家族構成と形態はごく普通だと思っているが、私の家族はほかの家族とは違うのではないかと思うことがある。それは父の、家族に対する、特に母に対する愛情が尋常ではないのだ。

 たとえば、母が忙しくて夕食が全てできあいのものでも、父は必ず「おいしかった。ありがとう」と母にひと言言うのを忘れない。また、母が何か作業をしているときには、甘いものの差し入れを欠かさない。母の代わりに買い物を引き受けることも多い。

 もちろん,私たち姉妹に対しても、出かけるときの送り迎えや、好きなスイーツの差し入れを頻繁にしてくれる。父は「家族サービスマン」なのである。

 なぜ、父の行動について述べたのかというと、私たち姉妹には全くもって反抗期というものがなかったことに気がついたからだ。学校から帰った後も自室にいることはなく、家族との団らんがずっと続く。

 周囲の友達が言う「父親の洗濯物と自分のものは一緒にしてほしくない」といったような話も、わが家では無縁で、なぜ嫌悪感を抱くのかがわからない。

 今まで気づいていなかったが、家族の平和は父によって保たれていたのだ。また、父の影響ではないかと思えることがもう一つある。それは私のとった行動に対して、「よく気がつくね」とお褒めの言葉をいただくことが多いことだ。

 それは、父が私たち家族にしてくれるように、人に気遣いをもって接することを無意識にしているからだと気がついた。父に直接言うことはないが、私は将来、父のような人と結婚したいと心から思っている。

松尾佳奈(17)
高校生 兵庫県姫路市