日本人としての芽〜つきBONのブログより
  先月、陛下がご来県したときのパレードで日の丸の小旗をもらった。そのまま家に持って帰ったのだが、三才になった孫が目を付け、これを振って遊ぶようになった。「こっきのほん」というのがあったので、以来絵本のようにこれを開き、この旗はここにある何という国のだよ、と説明してやっている。

 孫は「カーズ」や「きかんしゃトーマス」が好きなので、アメリカやイギリスの旗を描いてやったら、それに棒を付けてもらっていた。そのうち日本はじめ、自分で描けそうな旗を描いてはコレクションを増やしている。「デンマーク」とか「フィンランド」なども覚えてしまった。竜も好きなので、私は先日苦労してブータンの国旗を描いてやった。

 社会科の教員としてはうれしいものである。こうして自分が住むところには国というのがあり、それがいろんな世界に広がっているという認識を持つようになるのであろう。娘に聞くと、最近は車で走っている最中にも街角や沿道にある日の丸をめざとく見つけて「あそこにあったよ」と教えるという。この間はご来県の陛下の映像が映っていたので「この人が日本でいちばんえらい人だ」と教えたら、以来この子にとっては「いちばんいい人」として定着している。

 下の子は悠仁親王殿下と同じ誕生日(10才違い)だったので「悠馬」と名付けている。かなり遠い将来だが、自分のバースディが天皇誕生日に重なってくることになる。
 
 国への帰属心というのはやはり系統的に家庭や学校で教えるべきものであろう。やさしさとか思いやり、勇気や正しさなどというのは普通の暮らしの中で自然に身につく部分もある。しかし、自分の住む地域や国についてはなかなかそうはいかない。国体や五輪の応援では不十分であり、外国のことを知ったり郷土や母国の歴史・文化を学ばねば育たないのである。

 時に教員の中にも「愛国心など教えなくてもよい。愛されるような国になれば自然に身につくのだ」というご仁がいらっしゃる。こういう方に限って道徳教育にも懐疑的なのであるが、世界に出て真に通用するのは「日本人としての誇りや気概、アイデンティティを持っているかどうか」である。根無し草的な地球市民とやらを演じても「世界」は冷ややかに肩をすくめるだけであろう。

 一流のアスリートほど胸やソデに国旗をつけてプレーできる誇らしさを語ってやまない。その種目や分野で祖国の名誉を背負い、栄光をめざしてひたむきにがんばる姿に世界は拍手と声援を送る。戦った後に生まれる友情も絆もそれあらばこそ、である。

 戦争ですら同じであろう。真珠湾攻撃で被弾し、格納庫の敵戦闘機を巻き添えにして散華した飯田房太大尉は米軍によって手厚く葬られ、のちに記念碑を建てられた。単機米国本土に空襲をかけた藤田信雄中尉は、戦後現地で名誉市民の称号を受けている。東南アジアの日本兵が残した日本刀はベトナム戦を戦った現地兵士にとって心の支えとなっていた。今なお世界中でカミカゼ・ソルジャー、イオウジマ・ソルジャーがどれほど厚い尊崇を受けているかを戦後教育は決して語ろうとしない。

 人は好きなものからしか学ぶことはできないという。日本が好きであればこそわかること、身につくこともあるのである。うちの孫どもも郷土愛と愛国心を備えた大人に育ってほしい。

平成29年10月9日(体育の日)大津寄章三先生のブログから
母と盆踊り 〜 産経新聞 夜明けのエッセー
                      三平 貴美子(61)
                      大阪府池田市

 「今日な、ものすごく良いことがあってん」
 「何?どうしたん?」
 7月のある夜の娘との会話。私はその日あったことを幸せな気持ちで話し出した。

 私は3月に定年退職を迎え、それを機に地元町内会の婦人会の役員となった。そしてその日、初めての役員会に参加した。そこで8月に行われる盆踊り大会についての話し合いの中でのこと。

 「あんたのお母さん、踊り好きやったもんなあ。上手やったし」。23年前に亡くなった母のことをよく覚えていて、声をかけてくれた人がいたこと。

 「役員さんは、踊り手となって盛り上げてください」。母が大好きだった盆踊り大会に、私も出られるということ。

 「浴衣ありますか?町内会のおそろいのもの」。ないと答えたものの、もしかして、と思い、形見の衣装ケースを探してみた。

 「ありますようにって拝みながら開けたら、入っててん」

 話しながら、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのがわかった。ふと娘を見ると、娘の目にも熱いものが光っている。

 「よかったなあ、ママ。おばあちゃんのこと覚えてくれてる人がいて。うれしいわ」

 それを聞き、話し出す前よりもっと、私は幸せになった。

 そして8月5日、6日。私は母の形見の浴衣を着て、母の大好きな盆踊りを踊ることができた。

                   産経新聞 8月22日
ご先祖の行方 ~ つきBONのブログより
盆を迎える。墓参に赴く人も多かろう。この時期コンビニにもしきびが並べられていたりする。わが家も今回は長男がその息子を連れて参ってくれた。あと半世紀は墓守も大丈夫そうである。

 さて少子化や過疎化に伴って先祖代々の墓に詣でる人がどんどん減っているそうである。無縁仏となり関係者に連絡が取れない場合、自治体が合葬したり墓地を更地として販売するというケースも多いと聞く。ペット霊園は繁盛しているのにこんなことでいいのか。

 人は死後どうなるかは各宗教で解釈がまちまちであるが、素朴な日本人の信仰からいうと一定期間は近隣にとどまり、その後山に帰っていくという。また神道では四つの御霊に別れ、そのうち荒魂(あらみたま)は墓の周辺にとどまると聞く。一般的な仏教では死後49日を経て行き先が決まり、輪廻転生するらしい。

 何がどうなっているのか追体験したわけではないのでよく分からない。しかし、死後も人は完全に消滅するのではなく、魂魄だか霊だかになって墓や肉親の付近に存在している、というのが生きている側からの共通認識であろう。「草葉の陰で見守っている」という体温を伴ったまなざしこそが日本人の心情の基底音を培ってきた。
 
 家庭にある仏壇や神棚、墳墓というものはそういう生きてある者と亡くなった者とを結ぶ交点であり、依り代(よりしろ)である。そこへ行って手を合わせれば生前の面影が偲ばれ肉声が蘇る。近況を報告したり季節の果物を供えたり、ささやかな願いを込めることによって生者と死者は交流してきたのである。祖先の目を日常的に意識することは人々の背筋を正す倫理の要ともなってきた。

 先祖への祀りが絶える、ということはそういった幽冥境を異にする出入り口が途絶えてしまうことを意味する。これは実はゆゆしき事態ではないのだろうか。生きている側から言えば、「死者の目線」を意識することがなくなる、ということである。それは坂道を転落するような速さで現世至上主義に結びつき、人生の陰影と奥行きをわきまえない生き方に直結する。「生きている間が花よ。死んだらハイおしまい」という価値観がいかに人生をスポイルするかは推して知るべしであろう。

 死者の側からはもっと深刻なのではないか。死後しばらくは参ってくれる係累もいよう。しかし、その後はどんどんデクレシェンドし、やがて誰もこなくなってしまうのである。墓も雑草に埋もれよう。むろん独身のまま一生を終えたとか友人を持たなかったなどという「本人のせい」の部分もあろうが、これでは浮かばれない。

 昔マガジンの「うしろの百太郎」で読んだが、人間には守護霊というのがとりついているらしい。ふつうはその人の祖先の一人(?)であり、生涯替わることなく高い霊力で子孫を護り続けるという。そして人の一生の幸不幸の三分の一はその高級霊の導き如何によるともいう。

 これも考え方によってはオカルトな話なので本当かどうかは知らない。しかし、私たちは(科学では証明できなくても)しっかり先祖を祀り供養を怠らないという生き方が子孫に善果をもたらしてくれる、という因果律を何となく体験的に納得している。そしてそれはおそらく正しい。私自身、死んでいてもおかしくないケースを奇跡的に救われた体験を何度もしている。

 数年前に思い立って家系図を作ったことがあるが、わずか150年さかのぼっただけでもずいぶん多くの先祖がいたことがわかる。自らが生まれたいわば根っこの部分に対する関心、そして感謝というものが人生のベースになくてはならないのではないか。こう言っては失礼に当たるかも知れないが、やはり子孫につながない、という生き方はそれだけで人生の本道を外しているのではないか、と私には思えてならないのである。

2017/08/13(日)
『初任給』 〜 テーマ投稿
           産経新聞 平成29年4月21日(金)談話室より

孫との約束を実現する日が
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                主婦 塩川千鶴江

 今春大学を卒業し、千葉県の会社に就職した孫の初任給を夫とともに楽しみにしている。

 孫は小学2年のとき、「僕が就職したらおじいちゃんとおばあちゃんに千円ずつプレゼントするよ。だから元気で長生きしてね」と言った。私たちは大喜びで「お守りにして大事にするよ」と約束した。スイセンの花が揺れる4月の庭での会話だった。以降、毎年スイセンを見る度に思い出した。

 その話題には二度と触れなかった孫が先日、つぶやいた。「千円と言ったけど1万円くらいかなあ」と。ちゃんと覚えていたのだ。夫は「約束は千円だから千円でいいんだよ。お守り袋に入れて大事にするよ」と感無量だった。

 私たちが待ち望んでいた幸せな約束が目の前に迫っている。老夫婦の長く生きることの楽しさ、喜びを存分に与えてくれた孫に感謝している。(静岡県富士宮市)
あっぱれ!山田選手〜つきBONの「誤解をおそれず…」
 
WBCが盛り上がっている。日本の快進撃は嬉しい限りであるが、その中の一つのエピソードが心に残った。

 7日のキューバ戦。同点の4回2死二塁だった。山田哲人選手(ヤクルト)の捉えた打球は左翼席に向かった。だが、スタンド最前列で観戦していた男子中学生がとっさにグラブを出してキャッチしてしまった。“捕球位置”が外野フェンスより前だったため、リプレー検証へ。勝ち越し2ランは二塁打と判定された。

 ところがビデオでよく見るとさわりさえしなければボールはスタンドに飛び込んでいたことがわかったため、SNSが炎上することになった。むろん男子中学生への非難の渦である。「これで負けてたらどうしてくれるんだ」「信じられない。球場への出入り禁止だ」


 男子中学生は青ざめた表情でフードを目深にかぶったままであった。思わず捕ってしまったのか、と問われ、うつろな表情で「はい」とだけ答えたという。球場関係者から口頭注意も受け、最前列で観戦した仲間とともに最後までその視線は上がらなかった。

 試合後、ことの顛末を知った山田選手は少年にこうメッセージを送ったという。
「僕は全然気にしてない。だから野球を嫌いにならず、またグラブを持って応援に来てほしい」

  彼はこうも言う。
「グラブを持って来てくれたんだから、野球少年なんでしょうね。これも何かの縁だし、将来プロ野球選手になって、一緒に『あんなことがあったね』と懐かしい話ができるように頑張ってほしい。僕も完璧な本塁打を打てるように頑張ります」

 彼の一打は幻のホームランに終わった。しかし、それ以上の感銘を日本中に、何よりこの少年に与えてくれたのではないか。何という器量であろう。さすがに一流選手は人柄からして違う、とうならされたのは私だけではあるまい。
 
 もしもこの後少年が甲子園にでも出場し、この事件が自分の一生を変えてくれた、ということにでもなったら、それはさらに大きな感動の輪を広げるであろう。しかし、仮にそうでなくとも少年にとって一生忘れられない「大人の優しさ」として刻みつけられることであろう。


 
どこかで似たような話を聞いたことがある、と考えていたら「レ・ミゼラブル」であることに思い当たった。修道院から銀の燭台や食器を盗み出し逮捕されたジャン・バルジャンに対し、ミリエル僧正は「これは私が彼にあげたものだが」と官憲に告げる。その優しさに打ちのめされた彼は改心し、のちに情け深い市長にまで上り詰めるというストーリーである。

 自分に不利益をもたらす者に対して人はしばしば正義やきまりを振りかざす。もしキューバに1点差で敗れていたとしたらファンも執拗に少年を非難し続けたかもしれない。それは決してまちがった理屈ではない。しかし、私はそれでも山田選手は少年に同じことを言ったのではないかという気がしている。

 勝ち負けや正不正というものを超える価値もこの世にはある。かつて運動部の顧問をしていた頃、とんでもないミスでピンチを招いてしまった選手もいた。まとまったチームであれば部員は決して彼を責めない。むしろ試合後彼が立ち直れないことがないよう、絶対に逆転するぞ、という闘志を全員がかき立てるのである。人は自分のためにがんばる場合はせいぜい100%の力しか出せないが、誰かのため、という思いを背負うと120、150のパワーを発揮することがある。そういう経験がチームワークというものの本質なのであろう。点がラインに結ばれ、さらに面をつくっていくチームほど頼もしいものはない。

 幸い11対6というけっこうな大差でキューバに勝つことができた。誰よりほっとしているのは男子中学生であろう。うまくいかないことを常にだれかのせいになすりつけようとする事件や人々の多い中、山田選手の言葉は一陣の涼風のように列島を駆け抜けていった。

                            2017/03/11(土) 06:43:04