かぞく  〜  朝の詩より
       かぞく

              大阪府岬町
              辻下 麻乃 8歳


     かぞくは

     せかいいち

     すきな人です

     だって

     自分の

     いのちの

     一つなんだもん
               
お母さん ~ 朝の詩より
            産経新聞 朝の詩
            愛知県碧南市 磯貝 裕美 (55)


     車椅子の母に 
     
     くつ下を

     はかせてあげていると



     自分が ふんわり、

     まあるい存在に

     なっているような
        気がしました。


        
     子どものいない私を

     お母さんにしてくれる



     ― 母。
運動会と祖母
     産経新聞 きのうきょう欄より

 大人になってよかったと思うことは、運動会に出なくていいことだ。小柄で体が弱く、ぼんやり気質の私は、体育が大の苦手。運動会の前日は、家族そろっての夕食でも、不安と緊張で食べ物がのどを通らない。布団に入り目を閉じても恐怖に震えるばかり。

 そんな孫娘の様子を察したのか、隣で横になっていた祖母が「こっちへおいで」という。布団をめくり笑いながら細い腕を広げている。涙がこぼれないようにギュッとくちびるをかんで、素早くその懐に滑り込んだ。

 私の頭をなでながら祖母は言う。

 「明日の駆けっこ、びりっかすでもいいんよ。恥ずかしいことなんかない。転ばずに最後まで走ってけがさえしなけりゃ、上等の一等賞」

 あれほど嫌だった運動会の当日の記憶はまるで残っていないが、前夜の祖母の優しい励ましは、半世紀たった今でも、強く鮮明によみがえる。

             北九州市小倉南区 鳴見はるみ 56 主婦
手紙 〜 夜明けのエッセー
     手紙
               山下幸子(84) 大阪府岸和田市 
 
 
 知之、50歳のお誕生日おめでとう。

 お母さんの不注意から、四肢身体障害者になり、神様参り、病院参りの毎日に何度も一緒に死のうと思ったけれど、お母さんに一度も愚痴を言わず、不自由な体で勉強して、「電気」「保全」「保守」という大切な職務につき、社長さんや社員の方々に親切にしていただき、お母さんは喜んでいます。
 
 同じ高校で片半身に障害のある優しい女性と結婚して、今年22歳になるたくましい息子に恵まれて、毎年車で旅行に4人で全国を廻り楽しい日々を過ごさせてくれましたね。本当に生きていて良かったと思います。

 ボケ防止にと「パソコン」「タブレット」「スマホ」と3人で手を取って教えてくれました。おかげで友達に「この年でインターネット?」と言われます。

 でもこの頃、少し疲れてきたようですね。頭と体が一致しないですか。

 知之も、もう50歳です。その体で一家の大黒柱として走り続けてきた人生、残りの人生は、ゆっくり歩いて過ごしたらどうですか。たまには、負けん気も、頑張りも忘れる日があってもいいと思いますよ。お母さんの子供に生まれてくれてありがとう。

 自慢の息子知之へ
                       30.7.25 産経新聞
桜 ー 夜明のエッセー
           島上 亘司(ひろし)(70) 大阪府高槻市

 私の人生の中において、美しい桜を疎ましくおもいさけてきた時代があった。

 終戦直後の日本は、物の乏しい時代だった。私の兄、忠は昭和22年6月、空腹を満たすため崖の山桜の桜ん坊を採ろうとして枝が折れ落下、岩盤に胸を強打、自宅療養中の8月26日、吐血し急逝。小4の短い生涯を閉じた。

 病床に駆けつけた父は兄をみて卒倒し、翌日帰らぬ人となった。

 一家は、突然の不幸に見舞われ、10人の子供が残された。そんな失意の日々の3ヶ月後に私は出生した。母の心中には、筆舌に尽くし難いものがあったであろう。

 私は昭和41年春、大阪に職を得て、四国の山辺の村から旅立った。バスが離れるとき、母がひろしといってポロポロと涙をこぼした。初めてみる母の涙だった。バス停の色褪せた桜と、母の人生が重なり泣けた。この日が母をみた最後の日となった。

 その2年後の春、4月7日、桜吹雪の中で母を見送った。母には何の恩返しもせず、病気見舞いにも帰らなかった。自分の薄情さをわびた。そのとき、舞い散る花びらが、それをそしり、嘲笑って(あざわらって)いるようにみえた。

 桜は父、兄を奪い家族をどん底に落とし、今度は母まで連れていくのか。私は無性に怒りが込み上げ、猛然と桜木を蹴った。後は、ただただ噎び泣き、桜を忌み嫌った。

 母との惜別の日から半世紀をへた。あれほど、嫌った桜だったが、今は両親、兄を偲び桜の咲く日を待ちわびるようになった。桜への憎しみ哀しさは、巡りゆく季節(とき)が癒やしてくれたのであろう。いつしか憎しみは、恩讐の彼方に去っていった。

                  (平成30年4月11日 産経新聞)