靴磨きの少年〜一片のパン『幼いマリコに』
2007年10月号大阪防衛協会・機関誌「まもり」2007年10月号に掲載、大反響。
この「靴磨きの少年〜一変のパン『幼いマリコに』」を読むと、泣いてしまう。


George Ryoichi Ariyoshi(有吉 良一)、1926年3月12日 - 90歳

かつてアメリカの州知事は白人ばかりがその地位を占めていました。
そんな中、1974年に日系人として全米初の州知事となったジョージ・アリヨシ氏。

新たな道を拓いてきたアリヨシ氏が初めて両親の母国・日本を訪れたのは第二次世界大戦後、間もなくのこと。

そこで出会ったある靴磨きの少年とのエピソードです。

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私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。

アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。

私は日系アメリカ人です。

両親はともに九州の人で、福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、という異色の経歴の持ち主。

ここで熊本出身の母と出会って結婚し、私が誕生しました。

私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、通訳として日本に派遣されることになりました。

東京で最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年でした。

私は思わず、「君は子供なのに、どうしてそういうことをやっているの」と質問しました。

少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、僅かな生活の糧を得るためにこの仕事をしていることを知りました。

その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。

それに大凶作が重なり1千万人の日本人が餓死すると見られていました。

少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、空腹であるとすぐに分かりました。

兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、そっと手渡しました。

少年は「ありがとうございます。ありがとうございます」と何度も頭を下げた後、
それを手元にあった箱に入れました。

口に入れようとしないことを不思議に思って、

「おなかが空いていないのか」と尋ねると、彼はこう答えたのです。

「僕もおなかが空いています。だけど家にいる3歳のマリコもおなかを空かせているんです。だから持って帰って一緒に食べるんです」

私は一片のパンをきょうだいで仲良く分かち合おうとする、この少年に心を揺さぶられました。

この少年を通して「国のために」という日本精神の原点を教えられる思いがしたのです。

「いまは廃墟のような状態でも、日本人が皆このような気概と心情で生きていけば、この国は必ず逞しく立ち直るに違いない」

そう確信しました。

果たしてその後の日本は過去に類のないほど奇跡的な復興を遂げ、世界屈指の経済大国に成長しました。

通訳として日本に滞在したのは僅か2か月です。

しかし、私は今日に至るまでこの少年のことを忘れたことがありません。

日本に来るたびにメディアを通して消息を捜したものの、ついに見つけることはできませんでしたが、もし会えることがあったら、心からの労いと感謝の言葉を伝えるつもりでいます。
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