桜 ー 夜明のエッセー
           島上 亘司(ひろし)(70) 大阪府高槻市

 私の人生の中において、美しい桜を疎ましくおもいさけてきた時代があった。

 終戦直後の日本は、物の乏しい時代だった。私の兄、忠は昭和22年6月、空腹を満たすため崖の山桜の桜ん坊を採ろうとして枝が折れ落下、岩盤に胸を強打、自宅療養中の8月26日、吐血し急逝。小4の短い生涯を閉じた。

 病床に駆けつけた父は兄をみて卒倒し、翌日帰らぬ人となった。

 一家は、突然の不幸に見舞われ、10人の子供が残された。そんな失意の日々の3ヶ月後に私は出生した。母の心中には、筆舌に尽くし難いものがあったであろう。

 私は昭和41年春、大阪に職を得て、四国の山辺の村から旅立った。バスが離れるとき、母がひろしといってポロポロと涙をこぼした。初めてみる母の涙だった。バス停の色褪せた桜と、母の人生が重なり泣けた。この日が母をみた最後の日となった。

 その2年後の春、4月7日、桜吹雪の中で母を見送った。母には何の恩返しもせず、病気見舞いにも帰らなかった。自分の薄情さをわびた。そのとき、舞い散る花びらが、それをそしり、嘲笑って(あざわらって)いるようにみえた。

 桜は父、兄を奪い家族をどん底に落とし、今度は母まで連れていくのか。私は無性に怒りが込み上げ、猛然と桜木を蹴った。後は、ただただ噎び泣き、桜を忌み嫌った。

 母との惜別の日から半世紀をへた。あれほど、嫌った桜だったが、今は両親、兄を偲び桜の咲く日を待ちわびるようになった。桜への憎しみ哀しさは、巡りゆく季節(とき)が癒やしてくれたのであろう。いつしか憎しみは、恩讐の彼方に去っていった。

                  (平成30年4月11日 産経新聞)